2010/07/28
相変わらず世間では景気が悪いという声が多い。
恥ずかしながら多少とも経済をかじった身から見れば、たしかに株価は下がり、GDPは上昇せず、土地価も低迷している。
産業の空洞化や失業率は増えるばかりである。
けれど、時々不思議な感覚を覚えることがある。
それは不景気な世の中ではあるがそれが貧困に結びつく重大な素因では無いことにある。
平成になってすでに20年以上が過ぎた。あれからさまざまな事件や出来事があったものの確実にこの国は豊かになっている。
なにより20年前にまさか小学生までが電話機を持って歩くなんてことを想像しただろうか。かつては電話とは一種の財産であってその所有権は高価に売買されていたものである。ようするに電話回線の絶対量が限られていたためにその価値は需要に満たないという事情から高騰していたのであるが、現在の携帯電話のデジタル化による回線そのものの増加により相対的に回線の価格を下げることになった。
そのため回線各社、キャリアは契約数を確保するという、いわゆる市場占拠率の獲得のために一時は電話機そのものの投げ売り合戦をしていたのである。
さすがにこれでは共倒れになると危ぶんだのか近頃では携帯端末もずいぶん高価になっている。
こういうのは電話機の価格崩壊を防ぐ談合といえなくも無いと思うのだがどうなのだろう。たしかに端末の価格で勝負するよりは通話のサービスで競争するべきであるとは思うがその差が1万倍というのはさすがに極端なような気がしないでもない。
ところで、先のGDPであるけれど、これはたしか国内総生産の略である。以前はGNP・国民総生産が国家の財の算出の指標に使われていたのであるが最近はもっぱらこちらである。
このあたり天気のミリバールからヘクトパスカルに変わったのに似ていなくもない。
従来は国の財の算出は主に国内での活動に限られていた。そのため国内の産業活動はすなわち国民の活動であった。
ところが最近は国内企業の活動のグローバル化によってその活動拠点は国外に移されることが多くなった。繊維産業に始まり主要産業である自動車産業も多く生産工場を海外に求めている。
その結果日本企業でありながらその生産財は国外からという図式が増えることになる。
これはオーナーである日本国民の財の創出が外国人によってなされることになるため国民の生産財とは言えないからであるが、けれどこれらの財は国家間をまたぐ経済活動で確実に私たちの豊かさを支えていることは間違いないのである。
このあたりはじめに感じた違和感にゆきあたる。
かつて失業はすなわち生存の危機に結びついた。失業イコール飢え死にという感覚に近かったのであるが、昨今そんな風に感じる人はまずいない。各種の公的な福祉の充実により憲法に保障された最低限の文化的な生活は保障されているのである。
それはとりもなおさずわが国の豊かさをあらわしている。
今は昔、私がまだ駆け出しのころ、米国の失業者が人員整理でクビになって失業保険でもって自宅で優雅に暮らしているのをみて非常な違和感を抱いたことがあった。
そのころの日本人の感覚ではさっさと仕事を見つけないと、という感じであった。けれど彼らは自分に適した仕事が見つかるまでは余裕をもって仕事探しをするんだとのんびりと構えていた。
正直な話自分の適性がどうこうなんていう贅沢は言っていられなかったのである。私自身、戦後十数年の生まれであって、自覚しないものの実質的にはまだまだ戦後を引きずっていた時期に生まれたからである。
そのような貧しい国から現在に至ったことを改めて見比べると、自身の幼少時との彼我の差に驚くことがある。
技術は進歩し経済は発展すると盲目的に信じられる人々にとってはその成果は既定の結果であろうが、かつて軽自動車一台の購入にさえ苦しんでいた者にとっては現在の分不相応な毎日が非常に後ろめたく無くもない。
ところで経済の発展でいえばあらゆる国内の活動は国家の財の産出であることは知られたことである。
一方で景気の低迷を嘆きながら、一方で地球資源の有効活用と子孫への遺産のためのエコ活動にまい進している。
時節柄質素倹約の号令には逆らえないけれど、またその大義名分には文句のつけようはないけれど、景気回復とエコ活動は極論を言えば両立するものではない。
たしかに一時的にエコ製品の買い替え需要は増加するだろうけれど、製品が一巡すれば最終的に結局買い留まりとなるのは必定である。
LEDランプに象徴されるように企業は切れない電球を販売しているのとおんなじなのである。製品の寿命が飛躍的に伸びたということは、ある意味永久に壊れない製品であるのと同義語である。
さまざまな製品の目覚しい技術的進歩が無い限り多くの人々は手持の製品で十分日常生活は足りているのである。いまさら3Dテレビなど買おうとは思わないのだ。
かく言う私自身もリビングには50インチのプラズマを据えながら自分の部屋には25インチのブラウン管!テレビを置いている。
場所をとって重いのだが壊れるわけでもなく毎日見られるのでただただ惰性で買い換えることなく日々をすごしている。
このような状況を変えることはよっぽど強い動機が無い限り無理であろうと思う。
こういうエコ?精神が結局経済活動の疲弊を招いているのである。
申し訳ない。
