2010/08/08
何かと聞かれるまではわかっていて
聞かれたとたんにわからなくなるもの
と、答えた先人がいた。
時間とは、時の矢と呼ばれる一直線の移行軸のように考えられているが
そうではない。
時間を腑分けするには現在における時間の認識を理解しなくてはならない。
時間がいわゆる時間軸であると認識されるのはアナログ時計の
イメージを共有しているからである。
針がスムースに回転することが時間の流れと捉えているのである。
けれどこの時計はいわゆる時間のモニターではない。
時計とは初期は鋼鉄バネの弾力を利用した振り子の往復運動を回転運動に変換したものにすぎない。
それは厳密には時間の本質ではなく、機械の有限運動である。
初期の時計は太陽を基準にした。
いわゆる日時計である。
日の出を起点として日没を中間点。
次の日の出を終点としたものである。
不思議なことに日の出から日の入りを一日の半分としながら
古今東西なぜかこれを10等分ではなく12等分する。
どうやらこの12という数は方位がもとになっているようである。
が、なぜ方位が12方向なのかは東西南北の4方向を基準にして
その4の倍数分が方向となった。
一日を24時間とするのはここに由来する。
時計は時間を等速度でモニター、表示しているように考えられているが、実際は重力と引力による運動の結果である。
よって厳密にはあらゆる物体、環境の影響を受ける。
したがって等速度に時間は進まない。
時間とは個々の物体、空間における変化とその結果を指したものである。
物体と環境が変化しなければ時間は経過しない。
けれどこの宇宙空間で変化しないものは無い。
諸行無情の概念はここから生まれた。
あらゆるものは生まれた瞬間から死に向かって進む。
いや変化してゆく。
そして生物ならそれは生物としての死を迎えるが、それが終末ではない。
なぜならあらゆるものが変化するのであるから、死によって分解された有機物はまた、
あらためて再結合をはかり、あらたな生命を迂遠に繰り返すのである。
生命の変化が早く充実した時は、時計モニターが早く進むように感じ倦怠な時はモニターの速度が遅く感じる。
何度も時計を確認するときは変化は少ないのである。
たとえば多くの哺乳動物では心臓は生涯約20億回打つ。
像もハツカネズミもそれほど回数に差は無い。
けれど機械時計モニターでは像は100年生き、ネズミは3年しか生きない。
これをさしてネズミは短命といえるのか。
鼓動が同じであるならその体液の流動速度に比例して、もし思考があるなら、同じ思考速度であれば相対的に体感生涯は変わらないことになる。
人間は20歳で死ぬのは不幸で、100歳で死ぬのはめでたいか。
無為徒食にただただ生命維持を行うことに生きる意義があるとは思えないのが感想である。
いのち短し恋せよおとめ。
