大阪府・河内長野市在住の色鉛筆画/色鉛筆絵師「山芹健」の公式ホームページ。色鉛筆の限界に挑戦するアートとしての色鉛筆画を目指しております。

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真珠湾は眠っていたか

2010/01/29

これは今日読み終えた本のタイトルです。
1941年12月の日本軍によって一時期壊滅的打撃を受けたアメリカ軍の責任追求の調査記録を検証した本です。
驚くべきことにこの調査査問会自体は4年半の歳月をかけて行われており、最終審査会は戦後の1946年にいたっています。
この本で商店となるのは当時の司令官が戦争前夜の状況を認識せず自軍を破滅に追いやったのではないか、ということと巷間ささやかれているように政府・ルーズベルト大統領による陰謀があったのではないか。この2点です。
しかし読書中気になったのが、彼らがこの災禍を「真珠湾事件」とよんでいることです。
「事件」、まさにそのときに何らかの犯罪が行われたに違いないという国民共通の認識のもとにこの調査は進められていきます。
違和感は現場の司令官と外交交渉を行う政府とのギャップや国民の厭戦感などがないまぜになりながら攻撃当日を迎えるのです。
攻撃の第一報に接した将校がみな思ったのはドイツ軍が関与しているという亡霊のような確信記述が非常に奇異に感じます。あるいは戦闘機にはいくらかのドイツ人兵士がいるはずという不思議な質問など。
戦後の長い時を経てなおアメリカ人にとっての大きな痛手、ぬぐいきれない汚点のひとつがこの「真珠湾事件」なのです。
いわく、有色人種に敗北した戦い、あるいは本土を攻撃された屈辱、こういたやり場のない怒りが執拗な戦犯の探索へと駆り出したのではないか。
さきのドイツ人探しの心理には、太平洋の孤島の有色人種にやられたという忌まわしい事実を受け止めたくないという気持ちと、その裏側にあるこれは何かの間違いで、きっと自分たちの納得できる理由がほかにあるはずだという無意識の衝動がかくも執拗な審査会議の継続になったのだと推測できます。
司令官は防御に必要な情報を隠蔽されたという疑いを抱き、一方で世界に誇る軍隊をわずかな時間で壊滅させられたとは信じられなかった。また一般ではこのような結果をもって司令官の資質に疑問を抱き続けるのです。
またハルノートの重要性と影響を十分認識しなかった政府高官たちのおごりと驕慢、さらに事前に示された情報に対しての十分な検討も行わず、その結果哨戒もせず、主力艦船を危険な湾内に集結させるという愚挙を行うなど、大統領以下国民総員の認識の低さ、無自覚が生んだ惨事であるといえるでしょう。
かれらはすでに日本軍の無線を傍受しながらその想像力の欠如からそのあまりに荒唐無稽な計画や作戦にノンフィクションを写し宮のではないか。信じられないが、信じたくないに落ちついたときに彼らは自身の悲劇を招いたのです。
彼らはあまりの無力さに、憤りに日本軍を卑怯なだまし討ちとののしるようになるのですが、その責任の多くは先に述べたように、その責任は司令官をはじめとする政府諸氏に帰すべき問題であり、当時の状況下でその悲劇の芽を摘み取れなかったことは大きな失点であるからです。
さらに言えば、米国はその後200ほどの国際紛争を経験するのですが、残念なことにそのいずれにおいても宣戦布告などという優雅な行為はおこなっていません。
そのご米国は日本憎しの怨念から戦略爆撃機による日本の主要都市のの非戦闘員の殺戮に走ります。これらを正当化できる理論を見つけることはできません。
現代の十字軍を自認する彼らはその後も原爆を有色人種である任にだけ使用したとみるのはうがちすぎているでしょうか。
けれど当時核兵器の影響範囲や被害範囲は測定不能であったはずです。彼らはヨーロッパ戦線ではなく極東に限定して核を使用したとしか考えられないのは私だけ。
背景に無意識のレイシスト・人種差別の影が見え隠れします。
この本を読みながらつねに米国人の無意識の批判を感じ、彼らの苛立ちを読み取るのはやはり自分が日本人であるからか。
ちなみに真珠湾の水深はわずかに12m、当時の魚雷の使用に必要な水深60mを大きく割っていました。にもかかわらず多くの撃沈をはたしました。
この不可能を可能にする錬度こそ彼らの予想を裏切る攻撃であったのです。
なお、正式な調査会の記録中ににもたびたび記録される「ジャップ」の言葉にこそ彼らとの彼我の差があるのでは。
被害妄想でなく。

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