大阪府・河内長野市在住の色鉛筆画/色鉛筆絵師「山芹健」の公式ホームページ。色鉛筆の限界に挑戦するアートとしての色鉛筆画を目指しております。

色鉛筆画

色鉛筆画

いらっしゃいませ

2010/01/30

ファイル 400-1.jpg

本日は早々からのお越し恐れ入ります。
ゆっくりしていただけたでしょうか。
ところで驚いたことが。
いや、いまさらながらと思いながら平安京をふと調べていたところ、武家の台頭という項目があってそこで源氏に言及していたのである。
そこで源氏、よくいう清和源氏を調べたところ、清和源氏とは河内源氏と同義語であるという。よって鎌倉幕府は河内源氏の末裔だというのである。
これは驚いた。たしかに源氏は河内の国に所領を持っていたがてっきり傍流だと思い込んでいた。
なるほど頼朝は伊豆に流罪になったのだから本領から遠ざけるのが本筋である。当然河内から遠国を選んだ結果である。にもかかわらず東国支配という結果から歴史を眺めてしまっていた。
歴史恐るべし。
ついでながら鎌倉幕府の成立は以前は「いいくにつくろう」で「1192年」であったが現在は「いいはこつくろう」?の「1185年」になっている。歴史は日々変わる。
ちなみに平安京は桓武天皇が遷都したのであるが、その歴史は390年にも及ぶ。
これだけ長い歴史をただ政治の中心地というだけで通しての名称に使用するのは無理がある。
たとえばこれに対比するのに「安土・桃山時代」をもってした場合その長さはわずかに30年である。
その差10倍以上しかも桃山ではなくて「大坂」ですから。
さらに明治以降は首都機能と政治機能が同じにもかかわらず天皇の即位による元号の変更があって、いまだ通称としての名称は決定されていない。しいて言えば「東京時代」か?
ところでこの河内源氏であるが、その後は一度も旧領地を本領とはしていない。その子孫ということになっている足利も徳川も河内とは無縁である。
よって鎌倉以降は河内源氏という名称は適切でないという意見もあって、その末裔の石川氏をもって石川源氏と呼ぶらしい。
石川氏恐るべし。
参ったな。
けれど当地の旧村名の「高向」は驚くことに高向氏の領地在所であったらしい。
しかも当初は「臣」であったのであるがその後「朝臣」に昇格し最終的にはなんと「正三位」まで上り詰めた氏族の村域であったとは驚いた。
おそらくそのようなことは住民の誰も承知していないであろう。
参考までに「朝臣」とは太政大臣クラスの高官で史上、たしか6氏のみであったような、なかったような。
しかし当地が江戸時代を通じて天領扱いであった要因であるやも知れない。
恐るべし高向氏!

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